2015年12月19日土曜日

 しめ縄づくり   2015年12月  


ちどり旅館に藁を干して帰ってから2週間後、しめ縄づくりがいよいよ始まる。人手が必要となる今回の作業には、新たにひびきなだ文化研究会のメンバーも加えた10名あまりが集まった。先日干して帰った藁は結び方があまく床に落ちてしまい、Iさんが一から結わえ直し吊るして下さったとのこと。お世話になりっぱなしで頭が下がる。

 舞いから踊りへ

まずは、縄を綯いやすくするために、乾いた藁に水を含ませ木槌で叩いて柔らかくする。次に、その藁をしめ縄の長さ(8メートルほど)に地面に並べ、紐で縛って三本の太い藁束をつくる。ここから三つ編みの要領で綯ってゆくのだが、誰もが初めての経験とあって一筋縄にはいかない。最初は手探りで、長い縄の前と後ろの作業にうまく連携がとれない。そのうち、「よいしょ、もう一回!」など掛け声を出すことで息が合い、バラバラだった体の動きに一体感が出てくる。しめ縄づくりが誰を司令塔にするでもなく、多くの人が巻き込まれてゆくことの面白さを感じる。藁を綯う手の  “舞い”  から縄が生まれるとすれば、しめ縄は “音頭” や “踊り” のなかから生まれるのだろう。


下ネタの本懐?


10時から作業を始めて、昼には形になった。初めての経験とあって奇麗な仕上がりとはとても言えないが、「荒々しいのが  “ひびき灘”  みたいでいいじゃないか」という声も上がるほど達成感はあった。気持ちは早くも来年のしめ縄づくりへ向いている。
ところで、しめ縄を作る際に飛び交った下ネタは一考に値する。「(縄が)太く堅くなってきたな」とか、「もっと股(藁束の交わる部分)を広げて!」などの盛り上がりは、メンバーの想像力の逞しさによるだけではなく、身体のリズムを介して一体感が生まれたことが大きい。それは、豊穣の願いがエロスと切り離せない祭りの原点を思わせる……といえば言い過ぎだろうか。しめ縄づくりは普段眠っていた何かを触発し突き動かすこと、そうした言葉には表し難い力をもっているようだ。

 明神鼻の大蛇

編みあがったしめ縄を担いで小屋に運び入れる行程は、さながらしめ縄に息を吹き込む儀式のようだった。旅館から明神鼻の登り口までは軽トラで運び、そこから先の階段は3人がかりで担いで登る。この時のしめ縄は、岬の階段をゆっくりと這い上がる大蛇に見えただろう(筆者も担いでいたのであくまで想像ではあるが…)。今年は淡々と運び上げてしまったが、次回はもう少し堪能してみたい。しめ縄の重みをずしりと肩に受け、足元を見ながら海際の小屋に近づいてゆくと、波音が聞こえだす境があることに気付く。岬に砕けた波は雑木林を抜け柔らかい響きとなってあたりを包んでいる。明神鼻の小屋に横たえられたしめ縄は、すっかり大槌島の伝説の大蛇の風格を帯びていた。





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