2015年6月28日日曜日

■  大槌島への渡航        20156




梅雨の晴れ間となったこの日、御前八幡宮に高校生1名を含む7名が集合する今回の渡航は、島に自生する木の苗を持ち帰って、小屋の前に移植するのが目的だ大槌島(岡山県側)は御前八幡宮の社有地となっているので、出発を前に祀神と宮司さんへの挨拶を済ませる。

小屋の発見から今日まで、大槌島はいつも霊感の源だった。茶会も大槌島とその桜がなければ発想しなかっただろう。また茶会の席には、猿田彦が大槌島から椿をもって参上した。さまざまなものを繋ぐ象徴となった桜と椿を大槌島から持ち帰り、小屋と島とを結ぶ道をつくる……それは、小屋の前の鬱蒼とした雑木林を剪定していたときから、ぼんやりと想像していたことでもある。植物の生長を含めた風景の変化は、小屋のあらたな楽しみになるだろう。



 冒険活劇風に…

思い入れが強い分、島に渡ることは好奇心をくすぐられると同時に、聖域に踏み入るような不安もどこかにあった。……筈だったが、船に乗り込む頃にはすっかりテンションは上がっていた。



港を出ると船はスピードを上げ、島はぐんぐん迫ってくる。地元の人からおにぎり島として親しまれる大槌島だが、近くで仰ぎ見る島は「おにぎり」というよりは、江戸時代に来日したケンペルの評した「海のピラミッド」に相応しい威容だ。停泊する漁船の群れを抜け、砂浜にぎりぎりまで近づくと、船首の橋から飛び降りるように上陸する。
砂浜のまぶしさに目が慣れると、そこにあるのは、対岸から眺めていた絵画的な「島」ではなく、量塊として圧しかかってくる「山」だった


  ほこら

荷物を下ろし休憩も束の間に登山口を探す。山登りといっても整備された道があるわけではない。枝に巻かれたビニルテープの印を手がかりに頂上へまっすぐに伸びる急斜面を這うように登る。身の丈を越える草をかき分けしばらく進むと、急に高い木立の植生に変わる。木陰には祠が鎮座している。


祀られているのは、宮司さんの言われていたオオワタツミ大綿津見神大海神トヨタマヒメ豊玉姫だろうか。祠からは日比をはじめ、宇野や渋川も見晴らせる。毎年、氏子の皆さんが清掃活動されているということもあって心地よい空間だ。
祠の少し上には樹齢を重ねた立派な桜が、斜面に根を張っている。茶会の席で対岸から眺めていた桜のひとつだと思うと感慨深いものがある。


  島への/島からの視線

祠からの風景を眺めながら、御前八幡宮からの風景を思い出していた20151のブログを参照)現在、拝殿の前には住宅が建ち並んでいるが、少し高台にある本殿からは、今でも大槌島を望むことができる。この場所に神社を建てた当時の人々は、生活のなかで島からの視線を意識していたことだろう。島へと向けられた視線と、島から向けられた視線 ― その主は海の神か、伝説の大蛇か ― とが交わる、そんな風景だ。今回の渡航・移植もまた、大槌島と日比とを結ぶ試みといえる。

   大槌島から日比       御前八幡宮から大槌島



  焼肉と脱藩浪士

ここで頂上をめざす登頂班と移植班とに分かれる。椿の枝(挿し木用)と常緑樹の小さな苗を頂く。桜の苗は見当たらなく断念することにした。作業が一段落したころ、登頂班から登山道を外れ下山が遅れるとの連絡を受け、先に山を降りることにした。
焼肉の準備をして下山を待っていると、遠くから歓声が聞こえる。見ると泥だらけになった登頂班が、安堵の表情を浮かべ手を振りながら近づいてくる。



聞けば、頂上から下山する際に道を外れてしまい、水が湧き出る場所を歩くうちぬかるみに足を滑らせ、傾斜が60度くらいのほぼ崖に近い斜面を草を掴みながら這い上がったとのこと。「人生で味わったピンチのなかでも上位に入る」と興奮気味に語る姿に、無事の生還をねぎらいつつも、砂浜でのんびり肉を焼いていた私たちとのギャップにどうしても笑いが込み上げてしまう。 

箸を忘れたことに気づき、漂着した木の枝で即製の箸をつくる。焼肉を食べながら、あらためて山の様子を聞いた。

……山頂は植物に囲まれ、瀬戸内海を一望することはできないが、頂上を示す三角点の上に立つと、植物の切れ目から日比の製錬所の煙突や島なみが見えた。下山中に道を外れてからは、肌が切れそうな鋭い葉や棘をもつ植物、山肌を往来する多種無数の昆虫といった「山の住人達」の平穏な生活に迷い込んだ「闖入者」のように感じたという。そんな山の闖入者たちは、「幕末の脱藩者って、こんな険しい山道を越えたんだろうね」と話しながら互いを鼓舞していたそうだ。江戸時代に領地争いのあった県境の島らしいエピソードかもしれない。



帰り道、船長さんの好意で、ふたたび無人島にもどった島をぐるりと一周してもらう。人の登れそうな緩やかな斜面は見当たらない。岡山と香川の県境を示すのは、目を凝らさないと分からないほど小さな白い石標だった




疲れた体を押しスコップを担いで、小屋の前の雑木林に持ち帰った苗を移植する。このうち何本が根付いてくれるのか。周囲の木に馴染むまで育つには数年はかかるだろう。それまでこの活動がどのように続けられているのか。険峻な山と格闘した登頂班の想い出話しとともに、生長した木々のあいだから大槌島を眺める日を迎えたいと思う。